副院長野崎雄介について

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野崎雄介とiTero

このページでは「のざき歯科・東広島おとなこども矯正歯科」副院長 野崎雄介をより知っていただくために、幼少期からの生い立ちを掲載しております。

小学校時代

小学校時代

当院の近くにある東広島市立西条小学校に通学しておりました。
小学校時代は家でゲームをするというよりは、友達とスポーツをして遊んだり、近くの野池に自電車で釣りに行ったりと楽しく過ごしていました。

ちょうどその頃スラムダンク全盛期だったこともあり、仲のいい友達と一緒にJETSというミニバスケットボールチームに入りました。
バスケットボールの楽しさを教えて頂き、今でも30年間バスケットボールは好きでやり続けています。

この時の監督やコーチはいい方ばかりで、バスケットボールだけでなく、人としての礼儀などもご指導頂き、今でも大変感謝しております。

6年生に時にはありがたいことにキャプテンも務めさせて頂き、幼いながらチームをまとめることの難しさを感じたことを覚えています。
またこの頃から両親の姿を見て、歯医者という職業は素晴らしいと思い、自分も両親のように困った人を助ける仕事をしたいと歯科医師という職業を志すようになりました。

中学校・高校時代

中高時代

広島学院という学校に6年間お世話になりました。
友達にも恵まれ、非常に楽しい6年間でしたが、周りの学習レベルが高く、ついていくのに必死でした。

また中学校・高校時代もバスケットボール部に所属しておりましたが、なかなか試合に出ることができず、大きな挫折を味わいました。

何度もやめようと思いましたが、同じ部活の仲間に励まされ、何とか6年間続けることができました。
この時に辞めずに頑張れたことがその後の人生の糧になったと思っています。

物事を継続することの大切さ、自分が試合に出れなくても仲間を支えることの大切さなど本当に多くのことを学びました。

中高時代スポーツドクターに憧れ、医師になることも考えましたが、親孝行したいという思い、幼い頃からの思いが勝り、歯科医師になることを決断しました。

大学時代

大学時代

地元広島にも歯学部はあるのですが、一人暮らしをしたいという思いもあり(笑)、大阪大学歯学部に進学しました。

大阪大学は単位の取得が非常に厳しく単位を1つでも落としたら留年するという過酷な環境でしたが、出来のいい友人に助けられ何とか6年間で無事卒業することができました。

大学時代は学業だけでなく、アルバイト、部活動にも力を入れて取り組んでいました。

アルバイトは居酒屋、お好み焼き屋、塾講師、家庭教師など様々な経験をさせて頂きました。この時、居酒屋、お好み焼き屋で働かせていただくことで、社会の厳しさを教えて頂きましたし、塾講師や家庭教師をしながらどうすればわかりやすく教えることができるか、伝えることができるかを考え実行したことは今の歯科医師という職業にもいきていると思っています。

また部活動は引き続きバスケットボール部に所属しました。1年に1回オールデンタルという日本中の歯学部が集まってする大会があるのですが、ここで優勝することに全てをかけていました。バスケットボールをするために大学に行っていた時期もあったかもしれません笑

周りのメンバーに非常に上手な選手が多くいたため、優勝を経験させて頂き、個人賞を頂くこともでき、非常に幸運でした。この時、中高時代に試合に出れないからと諦めず努力し続けてよかったと感じました。

10万人に1人の難病診断

5年生の時にはキャプテンを務めせて頂き、ついてきてくれた部員に恩返しをしたいと思っていたオールデンタルの1ヶ月前、急に物が2つにみえるようになりました。

無理をしすぎていたから疲れかなと思い、寝て起きても同じです。おかしいなと思い、病院へ行くとすぐに大きな病院へ行った方がいいと言われ、精密検査。その結果、10万人に1人の難病と診断され、歩くことができなくなるかもしれない。歯科医師になることも…。大会は無理と言われました。

この時、おそらく人生で一番泣いたと思います。この時は歩けなくなることや歯科医師になれないかもしれないこと以上に自分についてくれてきたメンバーに迷惑をかけてしまうことが本当に申し訳ないと涙したのを覚えています。

しかし、主治医の先生の早期発見・早期治療のおかげで奇跡的に回復し、歩けるようになり、大会にも眼帯をしながらですが、参加することができました。

結果としても優勝はできなかったものの3位という結果を残すことができ、今ではいい思い出になっています。

この時健康の大切さ、早期発見・早期の大切さ、病気にならない予防の大切さを心から感じました。
この経験が今の自分の医院に対する『のざき歯科・東広島おとなこども矯正歯科に通ってくれる患者さんには歯の問題で困ることなく、健康に幸せになってほしい』という思いに反映されていると感じています。

大学卒業後の進路については父親である院長に相談したところ、口腔外科を学んだ方が良いとアドバイスをもらい、滋賀医科大学医学部付属病院歯科口腔外科で2年間研修させて頂くことになりました。

研修医時代

研修医時代

研修医時代はまだ歯科医師として右も左もわからない状態だったので、とにかく頑張ろうと決めていました。
朝7時に入院患者さんの様子をみにいき、夜帰るのは日を超えるのは当たり前でした。でも、全くつらくありませんでした。

教えていただける上司にも恵まれ、同期にも恵まれ本当に楽しい2年間を過ごしました。

もちろん楽しいだけではなく、親知らずの抜歯や全身疾患のある薬をたくさん飲まれている方への観血的処置(抜歯etc)など多くのことを学び、体得させて頂きました。この時、技術以上に学んだことがあります。

尊敬する山本学教授「患者さんには自分の家族にするような治療・接し方をしなさい」と2年間徹底的に叩き込んで頂きました。
このことは歯科医師になってからずっと徹底しています。

2年間ご指導いただけたこと・滋賀医科大学医学部付属病院歯科口腔外科で研修させて頂けたことを心から感謝しております。

研修終了後は地元広島に帰りたいという思い、そして実家の歯医者である『のざき歯科・東広島おとなこども矯正歯科』に戻って親孝行したいという思いもあり、広島県で研修修了後の勤務先を探すこととしました。

勤務先を探す際、多くの歯科医院に見学に行かせて頂きました。
一般歯科だけでなく口腔外科、矯正など多くのことを学べること、実家の歯科医院と同じ郊外型の歯科医院であることなど多くの条件がありましたが、最終的に呉市にあるうえはら歯科に勤務させていただくことになりました。

勤務医時代

勤務医時代

2012年4月から現在に至るまで約10年間勤務させて頂いております。

院長である上原先生には歯科医師としてのイロハを1から全て教えて頂きました。
入った当初は何もできず、自信喪失し、かなり落ち込んだのを覚えています。

10年間の間に虫歯治療、歯周病治療などの一般診療はもちろんのこと、インプラント、ワイヤー全顎矯正、インビザライン、小児矯正など本当に多くのこと経験させて頂きました。

院長である上原先生は50代半ばになられた今でも常に勉強され、医療技術の研鑽をされており、本当に尊敬しています。
自分も上原先生のように何歳になっても一生医療技術の研鑽をし続けたいと考えています。

2021年7月からは週の半分はうえはら歯科で勤務させて頂きながら、残りの週の半分は非常勤でのざき歯科・東広島おとなこども矯正歯科に勤務しております。
すでに多くの患者様が小児予防矯正やインビザライン治療を開始してくださり、本当に嬉しく思っております。

僕は大学時代、病気を患い、歯科医師になることができないかもしれなかったところを主治医の先生や両親をはじめとする多くの人に支えられ歯科医師になることができたので、その恩を歯科医療を通じて返して行きたいと心から思っています。

『のざき歯科・東広島おとなこども矯正歯科にきてくださる患者様には歯の問題で困ることなく、幸せになってほしい』
その思いで歯科治療・矯正治療に携わっておりますので、歯のことでお困りの方がいらっしゃいましたらお気軽にご来院頂ければと思います。

これからも一生涯医療技術の研鑽と患者様の立場にたった治療を心がけ行なっていく所存です。

東広島市西条中央の歯医者「のざき歯科・東広島おとなこども矯正歯科」
副院長 のざき雄介