「過蓋咬合を治すと、しゃくれると聞いて踏み切れません」
「矯正で顔が伸びたという話を見て、不安になりました」
過蓋咬合(かがいこうごう)の矯正を検討されている患者様から、こうしたご相談をいただくことがあります。
実際のところ、過蓋咬合の矯正では顔の印象が変わって見えることがあります。
このページでは、インビザライン社公認講師(アラインエデュケーター)である副院長・野崎雄介が過蓋咬合の矯正でなぜ顔の印象が変わるのかを、下顎の位置と噛み合わせの高さという2つの軸に分けて解説します。実際に治療を終えられた患者様の写真もあわせてご紹介します。さらに、治療しなかった場合に起こりうる変化についても触れていきます。
当院では累計750症例以上の矯正治療を担当しており、セファロ分析による骨格評価とiTero luminaによる3Dスキャンを組み合わせて診断を行っています。(2026年現在)
過蓋咬合を治すとしゃくれるのか?

まず結論からお伝えします。適切に行われた過蓋咬合の矯正によって、顎が前に突出してしゃくれてしまうことは、基本的にはありません。ですが、治療後に「顎が出てきた気がする」と感じられる患者様が実際にいらっしゃることも事実です。
過蓋咬合の矯正で語られる顔の変化には、前後方向のものと上下方向のものがあります。この2つは原因も向きも異なります。ここでは、過蓋咬合とはどのような状態なのかを確認したうえで、2つの変化の違いを見ていきます。
過蓋咬合とはどのような噛み合わせか
過蓋咬合とは、奥歯でしっかり噛んだときに、上の前歯が下の前歯を過度に覆ってしまう状態を指します。ディープバイトとも呼ばれます。
上下の前歯が縦に重なる量をオーバーバイトと呼び、正常とされる範囲は下の前歯の歯冠の3分の1程度、距離にして2mmから3mm前後です。歯冠の2分の1以上が隠れる場合や4mmを超える場合に、過蓋咬合と判断されることが多くなります。
重なりが深くなるほど、状態は段階的に変わります。半分程度が隠れている段階では見た目の問題にとどまることもありますが、歯冠のほとんどが隠れる段階になると、下の前歯の先端が上の前歯の裏側の歯茎に触れるようになります。ここまで来ると、歯と歯茎の両方に負担がかかります。
また、過蓋咬合では下顎の歯列の湾曲が深いことがあります。奥歯から前歯にかけて歯の先端を結んだ線が描くカーブを、スピー彎曲と呼びます。このカーブが深いほど噛み合わせも深くなるため、治療ではこれを平らにしていく作業が必要です。
「下の歯がほとんど見えない」と感じている場合、この状態に当てはまる可能性があります。
「しゃくれる」と「顔が伸びる」は別の仕組みで起こります

インターネット上では、過蓋咬合の矯正について「しゃくれる」「顔が伸びる」という2つの話が並んで語られています。しかし、この2つは異なる現象です。
しゃくれて見える変化は、下顎が前方へ動けるようになることで起こります。前後方向の変化です。顔が伸びて見える変化は、上下の顎の間の距離が変わることで起こります。こちらは上下方向の変化です。
この2つを理解する鍵が、下顎の回転という考え方です。下顎は顎の関節を支点として、扉のように回転しています。上下の歯が接触する高さが変われば、この支点を中心に下顎全体が回ります。奥歯の高さが増せば下顎は後ろ下方へ、減れば前上方へ回ります。これを下顎の自動回転と呼びます。つまり、しゃくれて見えるか顔が伸びて見えるかは、下顎がどちらへ回るかで決まるということです。
前後方向の変化|下顎が前に出られるようになる
深く噛み込んだ状態では、上の前歯が下の前歯の前方への動きを妨げていることがあります。特に上の前歯が内側に倒れ込んでいるタイプで起こりやすい状態です。
このタイプはアングルII級2類と呼ばれます。上の前歯が舌側に倒れ、その裏側に下の前歯の先端が当たるため、下顎を前に出そうとしてもこの接触が壁のように働いて止まります。結果として、下顎は本来の位置より後ろ寄りで噛む状態に置かれます。
治療によって上の前歯の傾きが改善され、覆う量が浅くなると、この制限が外れます。下顎は顎の関節を支点に前上方へ回りながら、本来の位置へ戻る動きを見せることがあります。
このとき顎の先の位置は前方へ移動するため、患者様は「顎が出てきた」と感じられます。治療前後のセファロを重ね合わせると、下顎の骨の形や大きさは変わっていないのに、顎の先の位置だけが前方へ移っていることが確認できます。押し込められていたものが元の位置に戻っている、という見方ができます。
上下方向の変化|噛み合わせの高さが変わり下顔面が伸びる
過蓋咬合を改善する手段には、大きく2つあります。前歯を骨の中へ沈めていく圧下(あっか)と、奥歯を引き出していく挺出(ていしゅつ)です。
挺出を多く使う計画では、上下の顎の間の距離が増えます。咬合高径と呼ばれる数値が増加して下顎が後ろ下方へ回り、下顔面の高さが増して顔が長くなったと感じられることがあります。
変化の大きさには目安があります。開咬の治療で奥歯を沈める方向の研究では、奥歯を1mm沈めると顎の先はおよそ0.8mm前方へ移動し、下顔面の高さはおよそ1mm短くなると報告されています。
過蓋咬合の治療では奥歯を引き出す方向になりますので、この逆が起こると考えられます。つまり、奥歯を1mm引き出せば顎の先は1mm弱後ろへ回り、下顔面は1mmほど伸びる計算です。数字だけを見ると小さく感じられますが、顔の印象としては認識できる範囲の変化になります。
このとき顎の先は後ろへ回るため、しゃくれる変化とは正反対の方向です。しゃくれて見える変化と顔が伸びて見える変化が、同時に最大になることはありません。奥歯の高さをどこまで触るかという判断が、そのまま顔の印象の方向を決めていると言えます。
矯正でしゃくれて見えるようになるのと、骨格性の下顎前突とは異なる

いわゆるしゃくれ、専門的には骨格性下顎前突と呼ばれる状態は、下顎の骨そのものが前方に位置している、あるいは過度に成長している状態を指します。
一方、過蓋咬合の改善に伴って起こるのは、下顎の位置が本来の場所に戻ることによる見え方の変化です。骨の大きさは変わっていません。
見分ける手がかりの一つが、上下の前歯の関係です。骨格性下顎前突では、下の前歯が上の前歯より前に出た反対咬合になります。過蓋咬合の治療後に顎が出て見えるケースでは、前歯の関係は正常な重なりに落ち着いています。逆転していなければ、しゃくれた状態がつくられたわけではないと判断できます。
ただし注意点もあります。もともとの骨格に下顎がやや前方寄りという特徴がある場合、深い噛み合わせがその特徴を覆い隠していたケースがあります。治療で制限が外れると、もとからあった特徴が見えるようになります。こうしたケースを事前に見つけておくために、骨格の評価が欠かせません。
あなたの過蓋咬合はどの程度か|顔の変化の出やすさを分ける要素

ここまでで、顔の変化には2つの方向があることをご説明しました。
とはいえ、本当に知りたいのは一般論ではないはずです。「自分の場合はどうなのか」という点が気になっていらっしゃると思います。
過蓋咬合には程度の差があり、背景にある原因も人によって異なります。ここでは、まずご自身の状態を確認する方法をお伝えします。そのうえで、どのようなタイプが変化を感じやすいのかを見ていきます。
鏡で確認できる過蓋咬合のセルフチェック
奥歯でしっかり噛んだ状態で、正面から鏡をご覧ください。確認のコツは、噛む力を入れすぎないことです。強く噛みしめると下顎が普段より後ろへずれ、実際より深く見えることがあります。
1つ目は、下の前歯がどの程度隠れているかです。目安は歯冠の3分の1程度でした。2分の1を超えて隠れている場合、過蓋咬合に当てはまる可能性があります。まったく見えない場合は、より深い状態が考えられます。
2つ目は、下の前歯の先端が上の前歯の裏側の歯茎に触れていないかです。噛んだときに歯茎に痛みや圧迫感があれば、接触が起きているサインになります。
3つ目は、歯のすり減りです。上の前歯の裏側を舌でなぞってみてください。段差やざらつきがある場合、下の前歯が当たり続けている可能性があります。下の前歯の先端が平らになっている場合も同じです。
4つ目は、被せ物や詰め物の状態です。前歯だけ外れたり欠けたりを繰り返している場合、噛み合わせの深さが関係していることがあります。他の歯に問題がないのに前歯だけ壊れる場合は注意が必要です。
ただし、鏡だけで正確に判断することは難しくなります。重なりの量はミリ単位で評価するため、模型やスキャンによる計測が必要です。受診の目安としてお使いください。
過蓋咬合の矯正で顔の変化を感じやすいのはどのような人?

過蓋咬合には、歯の位置や傾きが主な原因になっているタイプと、骨格的な特徴が背景にあるタイプがあります。前者を歯槽性、後者を骨格性と呼び分けます。
歯槽性のタイプでは、前歯が伸びすぎている、奥歯が十分に伸びていないといった歯の高さの問題が主体です。歯を動かせば噛み合わせの深さも下顎の位置も変わるため、変化の幅は比較的大きくなります。
特に上の前歯が内側に倒れ込んでいるタイプでは、下顎が前に動ける範囲が制限されています。前歯の傾きが数度変わるだけで、下顎が動ける範囲は数ミリ単位で変わることがあります。変化を自覚しやすいのはこのタイプです。
一方、骨格性のタイプでは下顎の下縁がつくる角度が小さく、下顔面が短いという特徴が見られます。低角、あるいは短顔型と呼ばれるパターンです。骨格そのものが縦に詰まっているため、歯の移動だけで顔の印象を大きく変えることは難しくなります。
ただし、骨格性だから何も変わらないという意味ではありません。骨格の特徴は残ったまま、歯と下顎の位置が整うことで見え方が変わることはあります。変化の幅に限りがある、という理解が正確です。実際には2つが混ざっているケースが大半で、どちらが強いかはセファロ分析で判断します。
写真だけでは判断できない理由
同じ「下の前歯が見えない」状態であっても、原因はいくつかに分かれます。上の前歯が伸びすぎているケース、下の前歯が伸びすぎているケース、奥歯が十分に伸びていないケース、骨格として下顔面が短いケースです。
このうちどれが主体かによって、打つ手が変わります。上の前歯が伸びすぎているなら上の前歯を沈める計画になり、奥歯が沈んでいるなら奥歯を引き出す計画になります。前者では下顎は前へ回り、後者では後ろへ回ります。
つまり、原因が違えば顔の変化の向きも逆になるということです。写真ではこの区別がつきません。歯の高さも骨格の縦のパターンも、外から見ただけでは測れないためです。ご自身の状態がどれに当てはまるのかを知ることが、判断の出発点になります。
自分で治そうとすることの危険性
噛み合わせの深さを、器具や習慣の見直しで改善できないかとお考えの方もいらっしゃいます。
舌の位置を意識するトレーニングには、悪化を防ぐという意味では役割があると考えられています。舌が上顎の内側に触れている状態は、歯列を内側から支える力になります。この支えが失われると、頬や唇からの力に対して歯列が保てず、内側へ倒れ込んでいきます。
ただし、これらの方法によって、すでにできあがっている重なりの量そのものが変わるわけではありません。歯を動かすには、一定の大きさの力を一定の方向へ継続してかける必要があるためです。
注意していただきたいのは、力をかける方法です。矯正治療では、歯を支える骨が作り替えられる速度に合わせて弱い力をかけます。この速度を超える力を加えると、歯の根が短くなる、歯を支える骨が失われるといったことが起こりえます。硬いものを噛み続ける、器具で歯を押すといった方法では、この力の大きさを管理できません。
市販のマウスピースを使う方法にも同じ問題があります。歯列全体の設計がないまま一部の歯だけが動くと、噛み合わせのバランスが崩れることがあります。まずは現在の状態を評価したうえで、必要な対応を決めていくことをおすすめします。
過蓋咬合の矯正で顔の変化が起こる仕組みを解説

ここからは、なぜ下顎の位置が変わるのか、なぜ人によって変化の大きさが違うのかを、もう少し詳しく見ていきます。
診断の場面で使われる言葉にも触れていきます。難しく感じられるかもしれませんが、担当医と話すときに知っておくと役立つ内容です。
下顎が後方に押し込められた状態から解放される
上下の歯が噛み合う位置と、顎の関節が本来収まる位置がずれているケースがあります。
顎の関節には下顎頭という骨の突起が収まっています。筋肉がリラックスした状態で下顎頭が安定して収まる位置を中心位、上下の歯が最も多くの点で噛み合う位置を咬頭嵌合位と呼びます。理想的にはこの2つが近い位置にありますが、ずれが生じていることがあります。
過蓋咬合では、深い重なりや前歯の傾きが誘導路のように働き、下顎を後ろへ滑り込ませたまま噛む状態が固定されていることがあります。歯を合わせようとすると、下顎が後ろへ導かれてしまう状態です。
この状態が長く続くと、患者様ご自身も後ろ寄りの下顎の位置を「自分の普通の顔」として認識されています。鏡で見慣れた顔が、その位置での顔だからです。そのため治療で本来の位置に戻ったとき、それが違和感として感じられやすくなります。顎が出てきたように感じるという訴えの多くは、この認識のずれによるものと考えられます。
上の前歯の傾きが下顎の前方移動を妨げている
上の前歯が内側に倒れ込んでいるタイプでは、下の前歯がその裏側に当たり、下顎の前方への動きが止められます。
確認する簡単な方法があります。上下の歯を軽く合わせた状態から、下顎をゆっくり前へ出してみてください。前歯が引っかかって前に出しにくい、あるいは一度大きく口を開けないと前に出せないという場合、前歯が動きを妨げている可能性があります。
本来、下顎を前に出したときには、上の前歯の裏側の傾斜に沿って下の前歯が滑り、奥歯が自然に離れる仕組みになっています。これを前歯誘導と呼びます。上の前歯が内側に倒れていると、この傾斜が急になりすぎて滑らかな誘導が働きません。
この場合、治療の目的は前歯の見た目を変えることではありません。下顎が動ける範囲を取り戻すことが目的になります。顔の印象が変わるとすれば、それは機能を整えた結果として現れる変化です。
前歯を前方に傾斜させると噛み合わせが浅くなる
圧下と組み合わせて用いられるのが、前歯を前方へ傾斜させる動きです。
仕組みは幾何学的なものです。前歯は歯茎の中の一点を中心に傾きます。内側に倒れている歯を起こすと、先端は前方へ移動します。上下の重なりは先端どうしの位置関係で決まるため、前歯が前へ出れば重なりは自然に浅くなります。傾きが数度変わるだけで、重なりの量は1mm前後変化することがあります。
ただし限界もあります。前歯を前へ出しすぎると口元の突出感が増し、歯を支える骨から歯根が出てしまう危険もあります。どこまで出せるかは骨の厚みやもともとの傾きによって決まります。
叢生(そうせい)と呼ばれる歯のガタガタがあり、歯を抜かずに治療する場合には、この動きを使いやすくなります。歯を並べるスペースを歯列を前方へ広げて確保するため、噛み合わせを浅くする力が同時に働くわけです。
骨格性か歯槽性かをセファロ分析で見分ける
セファロとは、頭部エックス線規格写真のことです。頭の位置を固定し決まった距離から撮影するため、異なる時期の写真を重ね合わせて比較できます。骨格を数値で評価できる点が、通常のレントゲンとの違いです。
過蓋咬合の診断で特に重要になるのが、縦方向の骨格のパターンです。指標は主に3つあります。
1つ目は、下顎の下縁がつくる角度です。基準となる水平面に対して下顎の下縁がどれくらい傾いているかを測ります。この角度が小さいほど下顎が水平に近い形をしており、顔が縦に詰まった骨格になります。
2つ目は、顔の前方の高さと後方の高さの比率です。前方に対して後方が大きいほど、下顎は前上方へ回った形になります。3つ目は下顔面の高さで、鼻の下から顎の先までの距離が顔全体に占める割合を評価します。
これらが基準値から外れていれば骨格性の要因が大きく、基準内に収まっていて歯の高さや傾きに問題があれば歯槽性が主体と判断されます。つまり、顔の変化がどこまで見込めるかを、感覚ではなく数値で切り分けられるということです。
さらにセファロでは、上下の前歯が顎の骨に対してどの角度で生えているかも測定します。上の前歯が内側に倒れているかどうかが数値で分かるため、前歯をどれだけ動かせるかの判断材料になります。当院では、これらの数値をお見せしながら見込みをご説明しています。
エラ・二重顎・顎がない|過蓋咬合と関係する顔の悩み

過蓋咬合の矯正を検討されている患者様からは、しゃくれるかどうか以外にもご相談をいただきます。
エラの張りが気になる。顎がないように見える。二重顎に見える。こうしたお悩みは、いずれも噛み合わせの深さと無関係ではありません。
ただし、変化が期待できる部分とそうでない部分があります。ここが混ざると、治療後に「思っていたのと違う」という結果につながりかねません。部位ごとに見ていきましょう。
エラの張りは矯正で細くなるのか
エラの見え方を決めているのは、下顎の角の部分の骨の形と、その上に乗っている咬筋の厚みです。この2つを分けて考える必要があります。
まず骨についてです。下顎の角がどれくらい張り出しているかは骨格として決まっています。矯正治療は歯とその周囲の骨を扱う治療であり、下顎の角の形を変えるものではありません。
次に筋肉についてです。短顔型と長顔型を比較した研究では、短顔型の最大の噛む力が有意に高いという結果が示されています。超音波を用いた研究でも、縦に長い骨格の方ほど咬筋が薄く体積も小さいという関係が確認されています。
つまり、顔が縦に短い骨格の方ほど、噛む力が強く咬筋も厚い傾向があるということです。下顎が水平に近い形をしていると、噛む筋肉が力を発揮しやすい角度で付着するためと考えられています。過蓋咬合の患者様に強い食いしばりが見られることがあるのも、この背景と関係している可能性があります。
ここから言えることがあります。過蓋咬合とエラの張りが同時に見られる場合、過蓋咬合がエラを張らせているのではなく、同じ骨格の特徴から両方が現れているという理解が近いということです。過蓋咬合を治せばエラが細くなる、という関係ではありません。
エラの変化は治療の目的にはできない
噛み合わせが整うことで食いしばりの癖が変わり、結果として筋肉の張りが緩む可能性はあります。使う頻度が減れば筋肉の量は減る方向へ向かうためです。しかし、それは矯正治療の直接的な効果ではありません。
変化が起こるとしても時間がかかり、個人差もあります。もともと骨の張り出しが大きい方では、筋肉が多少細くなっても見た目の印象はほとんど変わりません。
当院でも、ご相談を受けた際には「変化する可能性はありますが、変わらないものとお考えください」とお伝えしています。期待をあらかじめ適切な位置に置いておくことが、治療後の満足につながるためです。エラの見た目を主な目的とされる場合、矯正治療がその手段として適しているとは限りません。
矯正でエラが張ることはあるのか
「エラがなくなった」という声がある一方で、「エラが張った」という声も見かけます。後者を心配されている方もいらっしゃると思います。
考えられる状況が2つあります。一つは、装置に慣れていく過程での一時的な変化です。マウスピースを装着すると噛み合わせの感覚が変わり、無意識に噛みしめる時間が増えることがあります。多くは慣れるにつれて落ち着いていきます。
もう一つは頬のこけ方との関係です。治療中は食事の内容が変わりやすく、体重が減る方もいらっしゃいます。頬の脂肪が減ると、相対的にエラが目立って見えることがあります。
いずれにしても、矯正治療そのものが下顎の角の骨を大きくするわけではありません。気になる変化があれば、そのつどご相談いただける体制を取っています。
顎がない・二重顎に見えるのは噛み合わせが深いせい?

深く噛み込んだ状態では、下顔面の高さが短くなりやすくなります。下顎が上の歯に押し込まれた位置に収まるため、顎の先が目立ちにくくなることがあります。骨として顎が小さいわけではなく、位置の問題で見えにくくなっているケースがあるということです。
二重顎に見える現象も、同じ構造で説明できる可能性があります。顎の先から首にかけての皮膚や脂肪は、その下にある骨格の高さによって張り具合が変わります。下顔面が縦に短く下顎が後ろ寄りにあると、この部分の組織が余って皮膚がたるみ、輪郭がぼやけて見えます。
顎の先から首にかけての角度は頸オトガイ角と呼ばれ、この角度が鈍いほど輪郭の境目がはっきりしない印象になります。下顎が前上方へ回ると、この角度は鋭くなる方向へ変化します。
治療後にフェイスラインがすっきりして見えるケースがあるのは、この構造で説明できるかもしれません。ただし皮膚のたるみ方には年齢や体重の影響も大きく、すべての方に当てはまるものではありません。
顎がなく見える原因は過蓋咬合だけではない
顎がないように見える状態には、いくつかのパターンがあります。
1つ目は、上顎が前方に位置しているために相対的に顎が小さく見えているケースです。出っ歯に伴って起こります。下顎の位置や大きさが標準的でも、上顎との差が大きければ顎がないように見えます。
2つ目は下顎そのものが後ろに下がっているケース、3つ目は顎の先の骨の突出が控えめなケースです。そして4つ目が、上の歯に押し込められることで顎が見えにくくなっている過蓋咬合のケースです。
これらは重なって存在することもあります。原因が異なれば取るべき方法も変わるため、まずはどのパターンに当てはまるのかを確かめることから始まります。
大人の場合に取りうる方法
成長が終わった大人では、下顎を前に出すことが難しくなります。顎の骨の成長を促す方法は成長期に限られるためです。
そのため、上顎の側を調整して上下の関係を合わせていく方法が選ばれることがあります。上の歯を抜歯して前歯を後方へ下げ、下顎の位置に合わせるという考え方です。ただし、これによって顎そのものが前に出るわけではありません。上顎との差が縮まった結果として見え方が変わるという性質のものです。
一方で、上の前歯が下がる分だけ口元のラインは変わります。横顔の突出感が減ると、顎の先が相対的に目立つようになります。あわせて噛み合わせが浅くなって下顎が前上方へ回れば、顎の先の位置そのものも前方へ移動します。
どこまでの変化を目指せるかは、検査の結果をもとにご説明していきます。上顎と下顎の前後差が何ミリあるのか、前歯をどれだけ下げられるのかという数値をお示ししながら、現実的な見通しを共有します。
口元・横顔・ほうれい線への影響
横顔の口元の評価には、Eラインと呼ばれる基準がよく使われます。鼻の先端と顎の先端を結んだ直線に対して、唇がどの位置にあるかを見る方法です。日本人では、上下の唇がこの線よりわずかに内側に収まる状態が目安とされています。過蓋咬合単独ではEラインが大きく崩れているとは限りませんが、上顎前突を伴う場合には上唇が前に出やすくなります。
前歯を後方へ大きく動かす計画では、上唇の位置が変わりやすくなります。唇がどれだけ追随するかは厚みや張りによって変わり、おおむね前歯の移動量より小さい範囲にとどまるとされています。歯を抜かずに対応するケースでは前歯を大きく動かさないため、口元の変化は限定的になりやすい傾向があります。
ほうれい線については、口元が下がることで頬の張りが変わり見え方が変わる場合もあれば、かえって溝が目立って感じられる場合もあります。ほうれい線そのものは加齢に伴う皮膚と脂肪の変化が主な要因であり、矯正治療で直接扱えるものではありません。気になる場合は診断の段階でお伝えください。
過蓋咬合の矯正で顔はどう変わったか|当院の症例を解説
ここからは、実際に治療を終えられた患者様の症例を3つご紹介します。
歯を抜かずに治療し、顔の印象がほとんど変わらなかったケース。下の前歯を沈める動きだけで対応し、フェイスラインの印象が変わったケース。抜歯を伴い、口元の突出感が下がったケースです。
変化の出方には幅があることが、写真からご確認いただけると思います。掲載にあたっては患者様の同意をいただいており、お顔の一部を加工したうえで掲載しています。
症例①歯を抜かずに重度の叢生と過蓋咬合を改善したケース


治療前は、下の前歯がほとんど見えないほど深く噛み込んでいる状態でした。加えて下顎の歯列が著しく狭く、前歯が内側へ倒れ込んでいます。上から見ると、本来のU字ではなく前方でV字に近い形に狭まっていました。
背景には、下顎そのものが小さいことに加え、舌の位置が低いことがあったと考えられます。舌の支えが働かないと、頬や唇からの外側からの力に対して歯列が保てず、内側へ倒れ込んでいきます。
歯のガタガタの量だけを見れば、抜歯を検討する水準でした。しかし抜歯を選ぶと、スペースを閉じる過程で前歯がさらに内側へ引き込まれます。前歯が内側へ倒れれば上下の重なりは増え、叢生を解消する代わりに過蓋咬合が悪化することになります。
そこで、歯列を横へ広げる方法とIPR(歯の側面をわずかに削ってすき間をつくる処置)を組み合わせ、歯を抜かずに治療を進めました。歯列を広げて前歯を起こすと先端は前方へ移動するため、噛み合わせも浅くなる方向へ向かいます。叢生の改善と過蓋咬合の改善が同じ方向を向く設計です。
口の中の変化は非常に大きいものでした。正面のお顔の写真では、顔の印象そのものは大きく変わっていませんが、側面から見た際の口元の突出感は大幅に改善されました。歯列の変化や口元の変化がこれだけ大きくても、お顔の印象は綺麗なまま保たれる、ということを示す一例です。
当症例について詳しくはこちらをご覧ください。
>>ガタガタと深い噛み合わせが気になる20代女性の症例
抜歯を選ぶと噛み合わせが深くなる方向に働くことがある
上下の前歯が縦に重なる量は、前歯の傾きによって変わります。前歯を起こせば浅くなり、倒せば深くなるという単純な関係です。抜歯を伴う治療では、スペースを閉じる過程で前歯が内側へ倒れるため、深くなる方向の力が働きます。
そのため、抜歯するかどうかは歯を並べるスペースの量だけでは決められません。縦方向にどれだけ重なっているか、前歯がどちらに傾いているかを合わせて見ていく必要があります。
判断が難しいのは、両方の問題を抱えているケースです。叢生を優先して抜歯すれば過蓋咬合が悪化し、過蓋咬合を優先して非抜歯にすれば前歯が前に出すぎるおそれがあります。この判断は顔の変化にも関わるため、診断の段階での見極めが結果を左右します。
症例②下の前歯を沈める動きで対応し、約1年で矯正を終えたケース


上顎の歯列が広く、前歯の部分にすき間がある状態でした。いわゆるすきっ歯です。それに加えて、下の前歯がほとんど隠れる深い噛み合わせを併せ持っていました。
この組み合わせには治療上の難しさがあります。すきっ歯を閉じるには上の前歯を後方へ引き込む必要がありますが、前歯を引き込むと内側へ倒れ、噛み合わせはより深くなります。さらに、下の前歯が上の前歯の裏側に当たっているため、動かそうとしても物理的な障害になります。
一方、過蓋咬合の改善によく使う前歯を前方へ傾斜させる動きも、この症例では使えませんでした。前に出せばすき間がさらに広がるためです。
そこで、下の前歯を沈める圧下の動きで過蓋咬合に対応しました。下の前歯が沈めば、上の前歯が後方へ動くための空間が生まれます。上顎は歯列の幅を狭めながらすき間を閉じ、下顎にはわずかにIPRを行っています。
治療期間は約1年でした。比較的短い期間で終えられた背景には、装着時間をよく守っていただけたことがあります。後ほど詳しくご説明しますが、歯を沈める動きは装着時間の差がそのまま結果の差になりやすい動きです。
正面のお顔の写真では、フェイスラインの印象がすっきりして見えます。下の前歯が沈んで重なりが浅くなり、下顎が前上方へ回ったと考えられます。しゃくれた印象は生じていません。
当症例について詳しくはこちらをご覧ください。
>>すきっ歯と深い噛み合わせが気になる男子大学生の症例
バイトランプという設計で圧下を助ける
下の前歯を沈める動きを助けるために、バイトランプと呼ばれる設計を用いることがあります。上の前歯の裏側にあたる部分で、マウスピース自体を数ミリ膨らませておく方法です。下の前歯がこの傾斜面に当たることで、噛む力が沈める方向の力に変換されます。同時に奥歯がわずかに離れるため、奥歯が自然に伸びてくる余地もできます。
なお、バイトランプの効果については研究上の議論もあります。バイトランプを用いた群と用いなかった群を比較した報告では、計画に対する達成率がバイトランプ群で43.4%、非使用群で55.1%という結果でした。数字だけを見るとバイトランプが不利に見えます。ただし、群によって計画していた改善量が異なる可能性があり、単純な比較はできないとされています。つまり、この数字だけで有効性を判断することはできない、ということです。
症例③抜歯を伴い、上唇の突出感が変化したケース


上顎が前方に位置しており、上の奥歯が1歯分近く前へずれていた症例です。上下の奥歯の噛み合わせの関係が、本来あるべき位置から前方にずれた状態でした。
まず検討するのは奥歯を後方へ動かす方法ですが、1歯分に近いずれを歯の移動だけで解消するには限界があります。動かせる量、必要な期間、後方の骨の余裕を総合的に判断し、上顎の第一小臼歯(前から4番目の歯)を左右1本ずつ抜歯する方針としました。
治療期間は3年半以上と長期に及びました。抜歯によるスペースを閉じる動きと、過蓋咬合を改善する動きが逆方向に働くためです。前歯を後方へ引き込めば重なりは深くなり、それを打ち消すために沈める動きを加える必要があります。この綱引きが期間の長さにつながっています。
正直に申し上げると、噛み合わせの深さについてはもう少し浅く仕上げたいところで終えることになりました。前後の位置関係を優先せざるを得なかったためです。すべての目標を同じ水準で達成できるわけではなく、優先順位をつける判断が必要になります。
当症例について詳しくはこちらをご覧ください。
>>出っ歯と前歯のガタガタが気になる20代女性の症例
治療中に生じた装置の浮きへの対応
この症例では、上の側切歯、前から2番目の歯の動きに苦戦しました。側切歯はもともと小さく、この患者様の場合はさらに歯冠の高さも短い状態でした。
マウスピース矯正では、装置が歯にぴったり収まっていることが力の伝達の前提になります。歯の表面積が小さいほどつかむ力は弱くなり、装置と歯の間に隙間ができます。これを装置の浮きと呼び、生じるとその歯には計画した力が加わりません。
対応として、アタッチメントを通常より大きめに設定しました。歯の表面に樹脂の突起を付け、マウスピースが引っかかる部分を作る方法です。それでも解消しない場合には顎間ゴムを併用し、装置を歯に押し付ける力を加えました。
こうした調整は、装着状況を毎回確認しながら進めます。浮きは早い段階で見つけて対応することで、計画からのずれを小さく抑えられます。
3つの症例に共通して言えること
過蓋咬合を治すとしゃくれるのか?という問いがありますが、3つの症例のいずれにおいても、治療後に下顎が前方へ突き出た状態、いわゆるしゃくれた状態にはなりませんでした。上下の前歯の関係は正常な重なりの範囲に収まっています。
共通して見られたのは、フェイスラインや顎の先の周辺がすっきりして見える方向の変化でした。深く噛み込むことで下顔面が短くなり、顎の周りの組織がたるんで見えていた。それが噛み合わせの改善によって変化した。このように考えることもできます。ただし、すべての患者様に同じ変化が起こるとは限りません。
もう一つ申し上げておきたいのは、口の中の変化の大きさと顔の変化の大きさは比例しないということです。症例①のように歯列が劇的に変わっても顔の印象がほとんど変わらないケースがあり、症例③のように噛み合わせの改善が控えめでも口元の印象が変わるケースがあります。どこをどれだけ動かしたかが顔の変化を決めており、歯並びがどれだけきれいになったかではありません。
過蓋咬合は「かわいい」「問題ない」と言われるが、放置するとどうなるのか

ここまで、治療した場合の顔の変化を見てきました。しかし、治療しないという選択をした場合に何が起こるのかを知らなければ、判断はできません。
過蓋咬合は「小顔に見える」「かわいい」と語られることがあり、治療の必要性を感じにくい噛み合わせです。見た目の評価と機能面の評価は別の軸だと考えています。
ここからは、深い噛み合わせを放置した場合に何が起こると報告されているのかを、研究で示されている範囲に限ってご説明します。
深い噛み合わせと歯のすり減りには関連が報告されている
顎関節の症状が疑われる310名を対象とした研究では、深い噛み合わせと歯のすり減り、専門的には咬耗との間に統計的に有意な関連が認められたと報告されています。同じ研究で、交叉咬合と咬耗の間には同様の関連は示されませんでした。
つまり、噛み合わせの問題であれば何でもすり減るというわけではなく、深い噛み合わせに特有の所見だということです。
なぜ深い噛み合わせで前歯がすり減りやすいのか。理由は力のかかり方にあります。本来、下顎を動かしたときには前歯や犬歯が接触して奥歯を離す仕組みが働きます。深い噛み合わせではこの傾斜が急になりすぎ、下顎を動かすたびに前歯どうしが強くこすれ合います。加えて、短顔型の骨格では噛む力そのものが強い傾向があります。
歯のすり減りは、年齢を重ねればどなたにも生じます。1年あたりの量はごくわずかですが、数十年という単位で積み重なると目に見える差になります。深く噛み込んだ状態では、この速度が上がる可能性があるという見方です。
前歯が短く、笑ったときに歯茎が見えやすいという状態も、すり減りが進んだ結果として現れることがあります。歯そのものが短いのではなく、先端が失われているケースです。
下の前歯が上顎の歯茎に当たっているケース
重度の場合、下の前歯の先端が上の前歯の裏側にある歯茎の粘膜に接触することがあります。
この状態を対象としたCBCT(歯科用CT)による研究があります。上の前歯が内側に倒れたタイプの患者40名などを比較した研究です。重症例では、歯と歯の周りの組織が受け止められる範囲を超えた力がかかり、異常なすり減りや歯の神経の症状、歯を支える組織の減少につながりうると記述されています。あわせて、このタイプでは上の前歯の唇側の骨が薄い傾向も報告されました。
つまり、歯茎に当たっている状態は、歯だけでなく歯茎や骨にも負担がかかっているということです。そして骨が薄いということは、矯正で歯を動かせる範囲にも制約があるという意味になります。
先ほどのセルフチェックで下の前歯が歯茎に触れていると感じられた方は、一度評価を受けていただく意味があります。歯茎の炎症や退縮が起きていないかを確認できます。
顎の関節への影響は一律には言えない
「過蓋咬合を放置すると顎関節症になる」という説明を見かけることがあります。しかし、研究上は一貫した結論が出ているわけではありません。
先ほどの前向き研究では、深い噛み合わせと顎の関節の痛み、あるいは関節円板のずれとの間に有意な関連は示されませんでした。同じ研究で咬耗との関連は明確に示されているにもかかわらず、です。
つまり、同じ患者集団を同じ方法で調べても、すり減りとの関係は確認できたが、顎の関節との関係は確認できなかったということです。噛み合わせが深いから顎関節症になる、と申し上げることはできません。
顎関節症には、日中の噛みしめ、睡眠時の歯ぎしり、姿勢、精神的な緊張など多くの要因が関わるとされています。噛み合わせだけを取り出して原因と断じることは難しくなっています。実際に症状がある方については、個別に評価する必要があります。
すり減りが進んだ場合、顔の高さにどう影響するのか
歯のすり減りが進むと、上下の歯が接触する高さが失われていきます。咬合高径の低下と呼ばれる状態です。その結果、下顔面の高さが減り、口角が下がる、唇の赤い部分が細く見えるといった変化が現れることがあると説明されています。いわゆる老けた印象につながる仕組みの一つとされています。
一方で、これとは異なる報告もあります。頭蓋骨の標本を用いた形態学的な研究では、重度にすり減った群と軽度の群との間で下顔面の高さに有意な差が認められませんでした。研究者は、歯を支える骨の側が補うように発育することで、すり減りによる高さの減少が完全に埋め合わされていると結論づけています。
つまり、すり減っても顔の高さが保たれる仕組みが働く人がいる、ということです。歯はすり減った分だけ歯茎の中から少しずつ出てくる性質を持っており、歯と支える骨が一緒に伸びることで全体の高さが保たれます。
この2つの報告は矛盾しているようで、そうではありません。すり減る速度が補いの速度を上回れば高さは失われ、追いついていれば保たれます。どちらになるかは個人差があります。
なお、重度のすり減りに対して噛み合わせの高さを回復させる治療を行い、その前後を3D計測で比較した研究もあります。44名を対象としたこの研究では、治療によって下顔面の高さに客観的な変化が生じ、その変化は本人によって肯定的に評価されたと報告されています。つまり、失われた高さを戻すと顔の印象も変わり、それは良い変化として受け止められたということです。
噛み合わせの高さが下がると、顎が前に出て見えることがある
ここは、この記事のなかでもお伝えしたい点です。
噛み合わせの高さが失われると、下顎は上方へ回ります。記事の前半でご説明した下顎の自動回転が、治療とは無関係に起こるということです。下顎が上方へ回れば、顎の先の位置は前方へ移動します。
その徴候として、実際には下顎が大きいわけではないのに前に出て見える状態が現れうると説明されています。専門的には偽性下顎前突と呼ばれます。この現象は噛み合わせの高さの喪失と下顎の過剰な閉じ込みの徴候として位置づけられ、臨床的にも人類学的にも確認されているとされています。硬いものを食べていた時代の人骨にも、重度のすり減りとこの特徴が併せて見られるという意味です。
つまり、しゃくれて見えることを避けたいという理由で治療を先送りにする判断は、必ずしもその目的を果たさない可能性があるということです。放置した先に、しゃくれて見える方向の変化が待っていることもあります。
もちろん、これは長い時間をかけて進む変化です。数年で急に起こるものではありませんし、先ほどの補いが十分に働けば現れません。断定できる話ではないことは、あわせてお伝えしておきます。申し上げたいのは、治療しないという選択が変化のない選択とは限らない、ということです。
「かわいい」と言われる見た目そのものを否定するわけではない
深く噛み込むことで前歯が目立ち、下顔面が短く見える。それがかわいらしい印象につながると受け取られる場合があります。顔の縦幅が短いことが、実際の年齢より若い印象を与えることもあります。
見た目の好みは主観的なものです。当院として、その評価を否定するつもりはありません。矯正治療は、ご本人が望まない限り受けるものではありません。
そのうえで、判断材料になるのは見た目の評価ではないと考えています。前歯のすり減りが進んでいないか。下の前歯が歯茎に当たっていないか。被せ物の破損を繰り返していないか。こうした所見が基準になります。逆に言えば、これらが見られない浅めの過蓋咬合であれば、経過を見るという判断もありえます。
一つだけ申し上げるとすれば、変化は静かに進むということです。前歯のすり減りは日々の変化としては認識できません。数年ごとに写真や模型で記録を残しておくと、進んでいるかどうかが分かります。まずは現在の状態を知ったうえで、ご自身で決めていただければと思います。
過蓋咬合の矯正治療でしゃくれない・顔が伸びないための治療設計

顔の変化は、偶然に起こるものではありません。どの歯を、どの方向へ、どれだけ動かすかという計画の結果として現れます。
ここでは、過蓋咬合の治療計画のなかで、顔の印象に関わる部分をご説明します。治療中に印象が変わって感じられたときの対応についても触れていきます。
下の前歯を沈める動きは難しいことを前提に計画する
マウスピース型矯正装置による歯の動きの再現性については、多くの研究が行われています。そして、動きの種類によって計画どおりに動く割合に大きな差があることが分かっています。
初期の前向き研究では全体の平均が41%と報告され、装置の改良後の追跡研究では50%まで改善したとされています。ただしこの研究でも、下の前歯を沈める動きの再現性は35%と特に低い部類でした。
過蓋咬合に絞った研究では、さらに具体的な数字が示されています。ある研究では、最初のマウスピースを使い切った時点で、計画では3.35mm浅くなるはずが実際は1.15mmでした。達成率にして33%です。別の研究では達成率が39.2%と報告され、95.3%の患者様で追加のマウスピースが必要だったとされています。
つまり、シミュレーションで3mm以上浅くなる予定であっても、一度で得られるのは1mm程度にとどまるということです。そしてほぼ全員が追加のマウスピースを使っています。一度で終わらないほうが普通だと考えていただいて差し支えありません。
36名を対象としたより新しい研究でも、94%の症例で計画が実際の結果を上回っていました。個々の歯で見ると、第一大臼歯を引き出す動きが31%と最も低い結果でした。過蓋咬合の改善に必要な奥歯を引き出す動きが、最も苦手な動きだということです。装置は歯を包み込む形をしているため、押し込む力は伝えやすい一方、引き出す力は伝えにくいという構造上の理由があります。
だからこそ、一度の計画で終わらせない前提で進めます。あらかじめ改善量を多めに設定しておく、追加のマウスピースを見込んでおく、前歯の傾きの調整を組み合わせるといった設計が必要です。この点を治療前にお伝えしておくことも大切だと考えています。追加が必要になったとき、それが想定内かどうかで受け止め方は大きく変わるためです。
小さい歯・短い歯はマウスピースが把持しにくい
マウスピースは、歯の形に沿った空間に歯がはまり込むことで力を伝えます。歯の表面積が大きく、形に凹凸があるほどしっかりつかむことができます。逆に、小さくて丸みを帯びた歯は滑りやすく、力が逃げてしまいます。
対応として、アタッチメントを大きめに設定します。突起の形や向きは、加えたい力の方向に合わせて設計されます。それでも浮きが生じる場合は、顎間ゴムを用いて引き寄せます。
側切歯は特にこの傾向が出やすい歯です。動きにくいことが予想される場合は、あらかじめ患者様にお伝えしています。装置を渡して終わりではなく、毎回の来院時に装置が歯に収まっているかを確認していくことが前提の治療です。
装着時間が結果を左右する
沈める動きのように再現性が低い動きを含む治療では、装置の装着時間が結果に直結します。歯が動くには力が継続的に加わる必要があり、装置を外している間はその作用が止まるためです。もともと計画の3割程度しか動かない動きであれば、装着時間が不足した分だけさらに達成率は下がります。
食事と歯磨きの時間を除き、1日20時間以上の装着が目安になります。1日3時間外す生活と5時間外す生活では、1週間で14時間の差になります。マウスピース1枚あたりの期間で考えると、無視できない差です。
外している時間が長くなると治療期間が延び、次のマウスピースが入らずに前の段階へ戻ることにもなりかねません。症例②が約1年で終えられた背景にも、装着時間を守っていただけたという点があります。毎日の流れのなかにどう組み込むかは、生活の状況を伺いながら一緒に考えていきます。
抜歯するか非抜歯かで顔の変化の出方が変わる
前後の位置関係を改善する必要がある場合、抜歯が選ばれることがあります。その場合、口元の変化が出やすくなります。一方、過蓋咬合の改善という点だけを見ると、抜歯は噛み合わせを深くする方向に働くため難易度が上がります。
当院では、できるだけ歯を抜かずに治療できる方法を探しています。IPRや奥歯を後方へ動かす方法を組み合わせ、抜歯を避けられる範囲を広げています。過蓋咬合を伴うケースでは、非抜歯を選べることが噛み合わせの改善にも有利に働きます。
ただし、無理に非抜歯にこだわると別の問題が生じます。スペースが足りないまま歯を並べると、前歯が前へ出すぎて口元の突出感が残ります。歯を支える骨から歯根が出てしまうこともあります。この場合、噛み合わせは浅くなっても横顔の印象は望ましくない方向へ変わります。
そのため、セファロ分析で骨格と横顔のバランスを評価したうえで、必要と判断されれば抜歯を選択します。非抜歯であることそのものが目的ではありません。顔の印象を大きく変えたくない、口元は下げたいといったご希望は、相談の段階でお伝えいただけると計画に反映しやすくなります。
治療の途中で一時的に印象が変わることがある
治療の過程では、噛み合わせが浅くなっていく段階で下顎の位置が変化します。この時期に「顎が出てきた気がする」と感じられる患者様がいらっしゃいます。前歯の重なりが先に浅くなり、奥歯の噛み合わせがまだ整っていない段階では、下顎が前へ動きやすい状態が一時的に生まれるためです。
実際に「しゃくれた感じが出てきたのですが」とご相談をいただくことがあります。そうした場合には、顎間ゴムを用いて位置を調整していきます。下顎を後方へ導く方向にゴムをかけることで、最終的な位置へ近づけていきます。
もう一つよくあるのが、奥歯が噛んでいない感じがするというご相談です。前歯を沈める動きの途中では、一時的に奥歯の接触が減ることがあります。これも計画の過程で想定されている状態です。
治療途中の状態と最終的な仕上がりは別のものです。気になる変化があれば、その時点でお伝えいただければ対応できます。バーチャルケアを利用されている場合は、来院を待たずに画像を送っていただくこともできます。
治療前に変化を予測するためにできること
3Dシミュレーションでは、歯の最終的な位置を治療前に確認できます。iTero luminaによる口腔内スキャンのデータをもとに、クリンチェックで治療の過程を動画として確認できます。
ただし、シミュレーションが示すのは歯並びであり、顔の変化そのものではありません。加えて、先ほどご説明したとおり、シミュレーションが示す最終形は計画であって結果ではありません。過蓋咬合の改善量については計画の3割から5割程度が一度で得られる範囲という報告が続いています。この点も踏まえて見ていただく必要があります。
骨格的な要因については、セファロ分析による評価が判断材料になります。下顎の下縁の角度、下顔面の高さ、上下の顎の前後差といった数値から、歯の移動でどこまで変えられるのかを検討します。
顔の変化の見通しは、数値と過去の症例の両方からご説明しています。似た骨格、似た治療方針の症例で実際にどのような変化が生じたかをお見せするほうが伝わりやすいためです。当院では治療計画の立案から毎回の確認まで、同じ医師が一貫して担当しています。
子どもの過蓋咬合は矯正で顔の成長を誘導することができる

成長期の場合、大人とは矯正治療の考え方が変わります。
お子さんの過蓋咬合では、下顎が後ろに下がった状態で深く噛み込んでいるケースが多く見られます。この時期であれば、下顎の位置を前方へ誘導しながら成長を促す方法を検討できます。治すのであれば、できればお子さんのうちに、というのが正直な考えです。
成長期は下顎の位置に働きかけられる
下顎を前方に保った状態で過ごす時間を作ると、顎の関節周辺の組織がその位置に適応していきます。成長期であれば、下顎の骨自体の成長方向にも影響を与えられる可能性があるとされています。歯だけを動かすのではなく、下顎そのものを前に出していくイメージです。
もう一つの利点は、奥歯の高さを増やしやすいことです。成長期には奥歯が伸びてくる余地があります。前歯が当たらないようにしておくだけで奥歯が自然に伸び、噛み合わせが浅くなる方向へ向かうことがあります。大人では、この自然な伸びは期待しにくくなります。
顔の縦方向の成長が残っていることも大きな要素です。下顔面が短い骨格の場合、成長を縦方向に誘導することで、大人になったときの骨格そのものが変わる可能性があります。永久歯が生えそろってからでは、こうした働きかけは難しくなります。
噛み合わせの深さが気になる場合や、下の前歯が見えにくいと感じる場合は、早い段階で一度評価を受けておくと選択肢が広がります。すぐに治療を始めるかどうかは別として、成長の時期を逃さないための確認という意味があります。
大人の場合は歯の移動が中心になる
成人では骨格そのものを変えることは難しく、歯とその周りを動かすことで噛み合わせを整えていくことが中心になります。ただし、今回ご紹介した症例のように、下顎の位置が本来の場所に戻ることで顔の印象が変わって見えるケースはあります。骨の大きさは変わらなくても、位置が変われば見え方は変わります。
当院でもこれまで、大人の場合は顔つきは変わらないとご説明してきました。過度な期待を持たれないようにという配慮からです。しかし治療前後の写真を並べて見ると、顎のラインに変化が見られる症例がありました。押し込められていた状態から本来の位置に戻ることで、見え方が変わっているのかもしれません。
そのため、治療の前後で正面と横顔の写真を記録しています。歯の変化だけでなく、顔の印象の変化も確認できるようにするためです。大人だから何も変わらないわけではありません。一方で、大きく変わることを前提に治療を選ばれることも、おすすめしていません。
過蓋咬合と顔の変化に関するよくあるご質問
ここまでで触れきれなかった疑問について、お答えします。
Q.過蓋咬合の矯正で小顔になりますか?
小顔という言葉が指す変化は人によって異なるため、一律にはお答えできません。顔の骨の大きさそのものは矯正治療で変わりません。頬骨の張り出しも、下顎の角の形も、治療前後で同じです。
一方、輪郭の見え方が変わることはあります。下顎の位置が整って顎の先から首にかけての線がはっきりする、口元の突出感が減るといった変化です。これらは骨が小さくなったのではなく、位置関係が整った結果です。
小顔になることを目的とした治療ではない、という点はご理解いただければと思います。
Q.顔の印象の変化はいつごろから感じますか?
過蓋咬合の改善は治療の比較的早い段階から取りかかることが多いため、開始から数か月で変化を意識される方もいらっしゃいます。
ただし、感じ方には個人差があります。毎日鏡を見ていると変化に気づきにくく、久しぶりに会った方から指摘されて初めて気づくというケースもあります。
治療前のお顔を長く見慣れているため、変化が正常な方向であっても違和感として認識されやすくなります。この違和感は時間とともに薄れていくことが多いのですが、治療中は落ち着かない気持ちになることもあると思います。気になったときは、早めに担当医へお伝えください。
Q.過蓋咬合の矯正は保険が適用されますか?
矯正治療は原則として自由診療となり、保険は適用されません。
例外として、国が定める特定の疾患に起因する噛み合わせの異常、前歯や奥歯が一定数以上生えてこない場合、顎の骨の手術を伴う場合には保険が適用されることがあります。過蓋咬合という診断名だけで適用されることはありません。
該当するかどうかは検査を経て判断されます。また、保険が適用される治療を行える医療機関は指定を受けた施設に限られます。まずはご相談ください。
Q.マウスピース矯正だけで過蓋咬合は治せますか?
程度によります。歯の高さや傾きが主な原因となっている過蓋咬合であれば、マウスピース型の装置で対応できるケースが多くなります。当院でも、非抜歯のケースから抜歯を伴うケースまでマウスピースのみで治療を進めています。
一方、骨格的な要因が大きく、下顔面が著しく短いケースでは、歯の移動だけで得られる改善に限りがあります。この場合、どこまでを目標とするかを事前に共有しておく必要があります。
また、過蓋咬合の改善に必要な動きはマウスピースが苦手とする部類に入ります。計画どおりに進まない場面を前提に、追加のマウスピースや装置の設計で対応していきます。他院でマウスピースでは難しいと言われた方からのご相談もいただいています。
まとめ:過蓋咬合を治すとしゃくれるのではなく、顎が本来の位置に戻るケースがあります

過蓋咬合の矯正で語られる顔の変化には、下顎が前方へ動けるようになる前後方向の変化と、噛み合わせの高さが変わる上下方向の変化があります。どちらが起こるかは、治療の進め方によって変わってきます。
今回ご紹介した3つの症例では、いずれもしゃくれた状態にはならず、フェイスラインの印象が整う方向の変化が見られました。一方で、抜歯を伴う計画では口元の印象が変わりやすいなど、方針によって出方が異なることも事実です。
また、治療しなかった場合にも顔の変化は起こりえます。すり減りが進んで噛み合わせの高さが下がると、かえって顎が前に出て見える方向へ進む可能性も指摘されています。治療する場合としない場合の両方を知ったうえで、判断していただければと思います。
顔の印象を大きく変えたくない。口元は改善したい。こうしたご希望は、治療計画に反映できる要素です。診断の段階でお伝えいただくことで、目指す仕上がりを共有しながら進めていけます。
矯正相談では、iTeroによる歯並びのシミュレーションを含めて現在の状態を確認いただけます。まずは今の噛み合わせがどのような状態なのかを知るところから始めてみてください。
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